セミリタイア生活は、きっとこんな風になる
ぼくが気になっている一人に、phaという人がいます。
京都大学を卒業しながら「世界一有名なニート」として知られた人物。
「ニートの歩き方」や「しないことリスト」「フルサトをつくる」などの著書も出しています。
シェアハウスをやってみたり、ネットで文章を書いたりして、自由な生き方を実践している人ですね。
そのphaさんが、「熱海に1週間住んでみる」というテーマで記事を書いています。
この内容が、共感できるんです。
セミリタイアしたら、きっとこんな生活になって、こんな風に考えるようになるんだろうなって。
冒頭部分で、彼はこう書きます。
「最近どうよ」とSが言った。
「あいかわらずだね。人間40歳にもなると大体のことはやってしまって何もやることがなくなってくるな」と僕は答える。
この気持ち、わかります。
ぼくはもう50歳近いので、なおさらです。
若いころはどんなことにでも興味しんしんだったのに、歳を重ねるにつれてワクワクすることが減ってくる。
いろんなことが分かった風になる。
あるいは、自分には関係ないこととして、あきらめる。
好奇心を持てることを探すのがだんだん難しくなってくるのです。
若いころはゲストハウスやカプセルホテルに泊まることに全く抵抗がなかったのだけど、年をとるにつれてだんだんちょっとしんどくなってきた。(中略)ずっとやっていたシェアハウスもこないだやめて一人暮らしを始めてしまったし。年をとるとだんだんそういう場所が似合わなくなってくる、という要素も大きそうだ。
これも実感します。
学生のころは貧乏旅行ばかりで、何人もの旅行者が同じ部屋で寝るドミトリーに泊まっても平気でした。
そこで出会った人たちと飲みに行ったり、踊りに行ったり。
異性について話しさえすれば、どこの国の連中とも盛り上がった。
そんなことが楽しかった。
でも、おじさんになると見知らぬ他人とすぐに仲良くなるのが難しくなるし、自分のペースを守りたくなってしまう。
わきたつエネルギーがなくなるんですね。
なんだか、自分はずっと一人だな、と思った。今こうやって夜の海を見ながら一人で座っているように。それは、自分が人生の中で他人を振り捨ててきた結果なので自業自得なのだけど、でもときどきそれが寂しくなってくるときがある。
彼は熱海に来ても、いつもデニーズやマクドナルドで食事をします。
そこが彼にとって、居心地のいい場所なのでしょう。
そして、ひとりで海を眺めるのです。
目が覚めると雨は上がっていたのだけど、少し憂鬱な気分になっている。なんだか少し寂しい。しばらく人と話していないからだろうか。誰かと少し話したい、と思ってゲストハウスマルヤのカフェに行ってみる。
セミリタイアしたおじさんは、きっとこんな生活になるのだろうな。
煩わしい仕事や人間関係から抜け出し、自由とあり余る時間を手に入れる。
それなのに。
「なんだか少し寂しい」
「誰かと少し話したい」
そんな気持ちがときどき襲ってくるのでしょう。
phaさんはカフェのカウンターでお店のお姉さんと少し話し、「久しぶりに人と話して、ちょっと元気が出た」と記すのです。
一時間ほど湯船に浸かっているとだいぶ気分が回復して、生きてる意味なんてここに温泉があって自分がそこに浸かっている、それだけでいいじゃないか、という気持ちになってきた。
ひとりで考え、行動し、そのたびに気分がアップダウンする。
会社に勤めていれば仕事に忙殺されて何かを考える余裕もない。
けれど、時間があってひとりで動くようになると、いろんなことが四六時中、頭の中を駆け巡るようになるのでしょう。
セミリタイアしたら、そんな日々を送ることになるのかな。
肝心なのは、それを幸せと感じるかどうかなんでしょうね。