ちょっとだけでも、30年前の埋め合わせをするように
30年ほど前のこと。
深夜の吉野家であった小さな出来事が、今でも忘れられずに脳裏にこびりついています。
記憶はあいまいですが、大きなバスターミナルの近くの店だった気がします。
注文した牛丼をカウンターで食べていると、少し離れた席にいた中年の男が、怒鳴るように言いました。
「おあいそ!」
彼は少し酔っ払っていたのかもしれません。
店員さんは外国人の若い男性でした。
中国人なのか、韓国人なのか。
今では当たり前となっている外国人の店員ですが、当時はまだ珍しかった時代です。
店員さんはなぜ怒鳴られているのか分からないようで、きょとんとした顔をして戸惑っています。
男は再び怒鳴りました。
「おあいそって言ってんだよ!わかんねえのか!」
考えてみてください。
母国で日本語を学び、日本にやってきて、日本の店で働く。
学校で一生懸命勉強したでしょう。
お店でのお金のやりとりも学んだと思います。
「お会計をお願いします」
「お勘定をお願いします」
でも、「おあいそ」という言葉は学校で教わらなかったのではないでしょうか。
今の若い日本人でも「おあいそ」の意味を知らない人がいるかもしれません。
実際に使う人は、少ないと思います。
ぼくは、いきなりの怒鳴り声に驚き、ただそのやりとりを見つめるだけでした。
しばらくして、様子がおかしいことに気づいた日本人の店員が、厨房からあわてて出てきて場をおさめました。
外国人の店員さんは、ようやくほっとした顔をして仕事に戻りました。
ちょっと心が痛んだまま、ぼくは牛丼をたいらげました。
自問しました。
ぼくは、どうしてすぐに助け舟を出さなかったのだろうか。
なぜちょっとした勇気を持てなかったのだろうか。
日本に住む外国人の数は増え続けています。
いま、東京都内には55万人もの外国人が住んでいます。
もはや外国人の店員は珍しくありません。
外国人の店員さんが注文する際やレジでのやりとりで少々手間取っても、ぼくはできるだけ笑顔で待つようにしています。
よく理解できていなさそうだったら、もう一度ゆっくり話しかけます。
「大丈夫ですよ」との気持ちをこめて。
ちょっとだけでも、30年前の埋め合わせをするように。
ところで、「おあいそ」は本来、店側が使う言葉で、客は使わない方がいいとされているようです。
日本語って難しいんですね。