宮部みゆきの「荒神」と「進撃の巨人」は似ている?
きょうの記事はネタバレを含むので、ご注意を。
いや、タイトルからしてばれてるやん。
そうですね、すんません。
我が家には、読んでいない本が山のようにあります。
「積ん読」とはよく言ったもので、まさに山と積まれてあります。
いまは書籍の発行の回転が早いので、面白そうな本を見つけたときに「今度買おうかなあ、どうしようかなあ。次来たときにまた考えよう」と迷って買わないでいると、もう本屋さんには置いてなかったりします。
アマゾンで取り寄せる手もありますが、それもめんどくさい。
だから、とりあえず買っておこう。
そうやって積まれていくことになるんですね。
最近は「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」、「ファクトフルネス」といったノンフィクション系で興味深い本が多く、なかなか充実した読書生活を送っていました。
でも、そういう知的好奇心を満足させる読書が続くと、「久しぶりに小説でも読もうかな」という気分になるんですね。
理屈ではなく、感情を刺激したくなるんでしょうか。
右脳と左脳の両方を満足させて、楽しめる。
読書って、最高の趣味だと思いますね。
というわけで、すっと家に置いてあった宮部みゆきの文庫本「荒神」を、ようやく手に取ったんです。
これ、おそらく新刊が発売されたときに本屋に平積みされていたものです。
「宮部みゆきの歴史小説かあ。1冊くらい読んどくか」と思って買った記憶があります。
最終ページを見ると、平成29年7月1日発行。
2年間、おまたせしました。
時は江戸時代の元禄。
東北の山村が舞台です。
詳細でリアルな描写は、さすが宮部みゆき。
謎を含んだストーリーをどんどん読み進ませます。
ただ、怪獣が出てくるあたりから、どうしようもない違和感を感じてしまうんですね。
江戸時代に怪獣を登場させるという世界観に、どうしてもなじめない。
突然の怪獣の登場に、人間たちが慌てふためいて右往左往する。
実は怪獣そのものはこの本の主人公ではなく、それに相対した人間たちの反応を通じて、人間社会の難しさや因縁、業の深さ、愛情といったものを描き出す。
これがテーマなのでしょう。
ネットのレビューを読むと、「江戸版のゴジラ」といった書き込みもありました。
確かに、「シン・ゴジラ」っぽいかもしれません。
ゴジラの登場によって、日本の政治家や官僚たちの問題点をあぶり出しているのが、映画のテーマだったから。
実際、「荒神」は昨年テレビドラマ化されているようです。
文庫本のあとがきを書いているのも映画監督でした。
でも、ぼくはどちらかといえばマンガの「進撃の巨人」に似ているなと思いました。
ゴジラは人間とはまったくの別物なのに対して、「巨人」は人間を取り込んでいく存在。
荒神の怪獣も、エンディングにかけて同じような話になっていきます。
調べると、「進撃の巨人」の連載が始まったのが2009年。
そのころには進撃の巨人はすでに話題になっていたはずです。
もしかしたら宮部みゆきは「進撃の巨人」から小説のアイデアを思いついたのかもしれません。
新聞連載の影響か、「荒神」は最後にかけて一気にストーリーが進みます。
展開を早めてクライマックスを演出する手法なのかもしれませんが、様々な登場人物たちがバタバタと顔を合わせながら、深い接触のないまま終わっていきます。
その点も今一つ消化不良でした。
なので、評価は星2・5くらい。
好きな宮部みゆきだから、期待が高かった分、ちょっと辛口になってしまいました。
でも、彼女のほかの歴史小説も読んでみたいと思いましたね。
ところで、ぼくは最初「荒神」を「あらじん」と読むのかと思ってました。
魔法のランプ? 完全無欠のロックンローラー?
これ、「こうじん」って読むんですね。
Wikiによると、「日本の民間信仰において、台所の神として祀られる神格の一例」だそうです。
うん、この小説の題名にした理由がやっと分かりました。