「代わりはいくらでもいる」という上司の言葉に同意、会社を辞めた
ぼくが働いている部署で、来年に向けてちょっとした担当替えがありました。
みんな、やりたい仕事もあれば、やりたくない仕事もあり、悲喜こもごもです。
担当は管理職が集まる会議で話し合うのですが、社員たちはそろそろ担当替えの時期だとわかっているので、中にはそれとなく探りを入れるひとも出てきます。
「ぼく、今度は何を担当するんでしょうかねえ。あれは絶対やりたくないんですけどね」なんて飲み会でアピールしたりして。
担当を決める会議では、この担当はいま人が足りないから補強した方がいいとか、あいつはそろそろこの仕事をやらせてみようか、とかいろいろ議論します。
こうしたやり取りをしていると、会社員ってしょせん会社のコマにすぎないんだなと実感するんですよね。
本人の意向をまったく無視するわけではないけれど、それよりも会社の都合が優先されるんです。
そして、結局は上司の一存で決まってしまいます。
だいたい「よし、じゃあこの議論を踏まえてオレが決めて発表する」と会議の終わりに宣言。
そして出てきた決定版は、議論されたなかでは3番目くらいの案だったりします。
なんだったんだ、あの時間は。
ぼくのような管理職の担当換えの場合は、議論なんかもありません。
上司が独断で決めます。
前日の夜に連絡がきて、「君の担当を換えるから。明日の会議で発表する」と言われたりします。
まさにコマですね。
面談で記憶に残っている上司の言葉があります。
「みんな、自分がこの部署に必要な存在だと思ってるけど、代わりはいくらでもいるんだよ」
なるほど。
確かにそうですね。
だから、希望退職に応募することを決めたときも仕事面での心残りはありませんでしたよ。
「代わりはいくらでもいる」んだから。
話は戻って、部署の中の担当換えなら、まあそれでも仕事の内容はそれほど大きくは変わりません。
だけど、業務がまったく異なる部門への異動となると、話は違います。
これまで慣れ親しんできた仕事から離れて一から始めないといけないのです。
同業他社へ転職するよりも大変かもしれません。
いま、そのような「配置転換」が増えています。
日本では社員を解雇するのが難しいので、リストラしようとすると、自ら辞めるように仕向けないといけません。
一時期問題になった「追い出し部屋」がその方策の一つですね。
「配置転換」も、同じようなものです。
損保ジャパンなんかは介護の子会社に配置転換ですからね。
ぼくが務める会社でもどんどん増えています。
部署によって給料が違うのですが、給料の安い部署へどんどん「配置転換」されていってます。
ぼくもこの先、どこに飛ばされるのかはわかりません。
そう思っていた矢先に希望退職の募集が始まったのです。
「これは応募するしかない」
あっさり決断できました。
部下をコマのように扱ってきた上司のおかげですね。
ありがとう!